どりふぁ

2005年11月29日
HPの どりふぁ が色々今頃になって動き出す予定になりました。

そこで、弟であり兄と対極の性格を持つTOMIJIのブログがこの度開設となりましたのでご紹介。
http://spaces.msn.com/members/test103/PersonalSpace.aspx?_c=
ハッキリいっていろんな意味で興味深く面白おかしいと思います。

逆に兄である私は「連絡がないということは元気な証拠」というような人なので、ここでは鬱々としたものをメインで書いていくつもりです。

心に残った言葉 想い 意思
 
それらをこれからも私なりの書き方でココに書いていくつもりです。
それでは兄弟ともどもよろしくお願いいたします。

感傷

2005年11月28日
普段何事もないように演じていたとしても
 
それは積もってゆくだろう
 
時には心を解き放てばいい
 
霧散させてしまえばいい
 
そして自身を受け止めてあげればいい
 
それもまた私なんだ と
 
私が見えなくなるなら 私を見やすくすればいい
 
素直に受け止めよう
 
そしてそこから生まれる感情がまた
 
積もっていくモノだとしても
 
時には自身に優しくしてあげればいい
 
笑い飛ばしてしまおう
 
それは必然だ

笑い飛ばしてしまおう
 
そこからまた 私は生まれるんだから

意識

2005年11月20日
自転車のバランスをとる感覚は
乗りこなしていくうちに次第に意識しなくなる
 
それと同じで私は今 生きている
 
意識すべき事柄は放置しがちで
同じ様な事を繰り返し行っていればそれを意識せず行える
 
私の感情は今 波を持たない
 
ある一定の幸せを ある一定の不幸せを
 
私は中々意識しようと思えない
 
ある時は幸福を願い ある時は悲痛を願う
 
私は私という人格を脳で処理しているのか
 
無意識下で欲するヌクモリ
 
意識して自身を守るため 自身を傷つけるためのツメタサ
 
自身を卑下してしまうモロサ
 
私は意識することによって全てを失ったのかもしれない
 
正常とは何か 異常とは何か
 
見解の仕方でどうとでも解釈ができるモノゴト
 
ひねくれた私は真っ直ぐというものをきっと見ることができない
 
ただ 私は思う
 
私は今の状態に甘んじているはずだ
 
私なりにきっとこの状態を楽しんでいる
 
この無限ループから抜け出せる方法はあるのか
 
ずっと嘲笑っているわけにもいかない
 
影響を与え続ける様に動いてはいけないだろう

嘲笑

2005年11月8日
何も感じないよりはいい
 
そう
 
私は何も感じないように努めていた日々を捨て
感情に左右される日常に戻る事を選んだのが先日の事だ
 
だが今ではどうだろう
 
いつまでも自分の中から溢れる感情に
自身を喰い破られるのではないかという恐怖感が私を襲っている
 
結局のところ
 
私はただナイモノねだりをしていたのかもしれない
 
私に足りないものは手に入れたく
私が持っているものは興味がなく

ただ単に私が一つのモノへの執着をできないという事なのか
私そのものの存在のあり方を私自身が拒否しているのか
 
もう私は嘲笑するしかない
 
私は自身をどれだけに嫌っているのだろう
またはとても歪んだ私自身を愛でた形なのかもしれない
 
一つの答えだけを無理にハメコム事はできず
幾つもの答えを掲げ私はどれに落ち着く事もない
 
結局
 
私は何がしたいんだろう
 
嘲笑
 
どこまでもワラっていよう

2005年10月21日
様々に得て
色々と失い
 
布は払われた
 
ただ本質は私なのだ
 
想い 感情を嘲笑し ひねくれて生きる
 
虚勢を張る一方 救いを願う
 
全てに理由をつけれる訳がない
つけようと思えばいくらでもつけれる
 
それらは私が感じている事かもしれない
考えられる事 可能な推測かもしれない
偽りや真実で固められたモノだとしても
 
何ら問題ではない
 
私はそれに一時的に流され利用し 楽しみ 喚けばいい
 
私はきっとそれが好きなのだろう
 
そう思い込みたいのかもしれない
しかし基準を失った今ではどうでも良い事だ
 
私は再びそれを手にすることを望んでいたではないか
たとえ受け付け方が違っても
何も感じないよりはいい
そう思い込んでいるのか
 
何にしても
ひねくれて自身を嘲笑ってやる
 
目的を達成するまで私は廻り続ける事を願う

2005年10月7日
視野を広げる事を恐れた
深入りする事を恐れた
熟慮する事を恐れた
 
行動に移す事を恐れた
口に出す事を恐れた
向合う事を恐れた
 
私は己に苦痛を与えるモノから逃げただけだった
入り込んでくる感情による影響
私にはどうする事もできなかった
自責の念から逃れただけだった
 
そんな私は壁を形成した
己の事だけに対する結論を他者からの影響を受けずに出すために
 
結果
私は言葉に凶器を乗せる事になった
見えない 触れる事ができない そのモヤを振り切ろうと
 
しかし言葉は私自身にのみ影響を与えるものではなく
聞いた人 知った人 読んだ人
私に影響があったように 影響を与えてしまう事を忘れていた
 
自身を叱咤するはずが 人に刃を向けていた
 
私を今一度 私と私に関わる人々を思い
 
今までの浅はかな行いを謝辞し
 
私は感じた心を受け止め
 
私の本心も包まずに話したい
 
もっと話して欲しい
 
感情の一片でもぶつけ散らしてほしい

活きて欲しい
 

衰頽

2005年9月14日
私は繰り返しているようだ
 
支えられないと潰されそうになった人 なった時 
支え 支えられ 支え以上にその人の存在が大きくなった時
私か相手のどちらかが 決して一緒に折れる事はなく
支え無くして立てるようにと離れたり 潰れたり
 
私は強くなれたのだろうか
 
いつも繰り返すその言葉
 
そして 強くなる事と ただ耐える事の違いに気づく
 
耐える事ができなくなった私はまた繰り返すのだ
 
逆に私が耐えれている時は誰かを支えようとするのだ
 
気づいた時には 私の感情は鈍っていた
 
全ての感情が曖昧だ
 
泣きたい そして笑いたい
 
心から感じたい
 
こんな私は人との関わりを軽視してしまっている様で
どんな大切な言葉もどんな鋭い言葉も
深く胸に刺さる事がなく抜け落ちてしまう
それは私が発する言葉もまた同じだろう
 
私はいったい何に苦しめられているのだろう
 
どうすればまた
 
あの時の様に笑えるのだろう

うそつき

2005年8月12日
私はためらいもなく嘘をつける

人を安心させるため
人との深い関わりを避けるため
人を傷つけないため
人からの関心をひくため
人の傷を更にえぐらないため
人から心配されない様にするため

私はいつから自分に嘘をつくようになったのか

いつだって私の感情は抑制されてきた
常に理論と合理的な考えを通してきた

嘘をつくのが私にとって日常となり
胸が痛む事がなくなったころ

私は喜ぶこともなくなっていた

そんな私は欝という感情をどう捉えたのか
私は欝に浸り悦を得るようになった
後に残るものは無意味な傷

どうみられても私はある種の悲劇的主人公を
気取っていると捉えられるだろう

私自身そうなのではないかとも思う
だが止めることもできないし他人からの意見は求めない
私は私であると感じられることをしようとしているのだろう

本当に空虚だ

いつか子供のように残酷な程の正直者になる事はできるのか

うそつきは喜ぶ事もなければ傷つくこともないのではない
ただ鈍らせているだけなのだ
曖昧な世界だから正気でいられるのかもしれない

私は感情を不要と感じ今に至る
されどそんな私は活きてはいない

果てしなく空でしかない

性格

2005年8月10日
欝診断テストというものがネットにある

私はハッキリいってそれらの事は信じないのだが
好奇心で気になる時に遊んでいる

基本的に中度以上の欝傾向にあるとばかり診断されるのだが
私は質問の内容を見て性格の問題じゃないのかと思ったりする

性格と鬱病に関係したかかりやすさ 
とかいうのも以前見た気がするのだが
これは簡単に結び付けれるものなのだろうか

形がないものの判断というものは難しく面白い気がする

ただ屁理屈を並べるのが好きなだけかもしれない

指摘

2005年8月4日
鬱病かどうかを考える時点で欝だと指摘された
そう、昔はその様に自分でも思っていた
それなのにどうしてその事を忘れてしまっていたのだろう
 
ただ その結論は極論だとは思うのだ
だから置きっぱなしにしてしまっていたのかもしれない
 
どちらにせよ私は今までどおり
根性と精神だけでなんとか乗り切るつもりでいる
 
 
 
今日は改めて自分の無力さを感じた
自分の活路を見出せぬ者はやはり他者を救う事などできはしないのか
またしばらく感情を極力消す日常を送るのだろうか

思考 分析

2005年7月15日
深く考える事ができなくなっていた
 
最近少しそれが治り 考えるようになっていた
 
しかし
 
私はどうも他者からの影響を受けすぎてしまうようだ
 
本当に苦しむ人々を見ると頭痛が治まらない
 
気持ちもすぐに流される
 
私は救う事ができなかった
 
支える事もできなかった
 
私が思うだけでは救う事ができない
もともとはその人自身の意思の問題だと思っているが
 
錯覚を尊いものと捉え
儚く美しく描写されるそれらの模倣行為
 
ただそれだけではないとは思うが これも一因ではないだろうか
 
結局は自分自身で気づくしか解決策は無いのだと思っている
だが支え 救う事 支えられ 救われる事を望むのもまた事実
 
私の意志 他人の意志
 
結局自身がその事にけりをつけないといけないだろう
 
ただ病院やカウンセラーに行くだけで治るモノとは思えない
私はエセであるがそう思う
そうでなければ数年も病院を通って治らないなんて事があるだろうか
それでは行かなくても同じではないか
 
私はハッキリそれらの感情は 甘え だと思っている
 
エセの私が言っても無駄に反感をかうだけかもしれない
でも
私はそれら救いを求める行動はキッカケなのだと思っている
そこから先は意思ではないだろうか
 
本当に治りたいのか
本当に今まで甘えてきた事象を克服する気があるのか

苦悩 苦汁の日々は社会では当たり前だろう
どこまで本気で耐えられるか
逃げに走らないか 自分に甘えてしまわないか
それが問題なのではないか
 
悲劇のナニナニな感じに浸るのは気持ちいいかもしれない
そう思わなくても その感情に浸る事が自分なのだと思ったり
人とは異色な自分を簡単に装う事ができ 自己を確認できる
 
欝やカット行為に及ぶ人は
自分を活かしたいのではないか
 
私は一度ある人にこういわれた
「本当に死にたいなら相談をする間もなく死んでいる」
私は確かに甘えたかった 支えを欲していた
 
ただ 本当に苦しんでいたのは確かだった
 
しかし私はそれから他人へのアピールをやめた
私はもっと強くなろうと思った
 
私はそれらの行為を自分への甘えと捉えている
 
私の文を読み気分が悪くなったらすまないと思う
これは私が出した私自身への結論だ
反感をもたれてもかまわない
これが私の世界であり
他人の捉える世界観と同じわけが無い
ただ私は体を大事にし 人々には生きて欲しいと願っている
 
私はこうやって ひねくれて生きる

溢れる

2005年7月6日
最近どうも今まで一人で考えていた事を闇雲に友達に吐いている
 
私は何らかの反応を欲していて かまって欲しいのだろう
 
ただそれで私が満足するという事も無く
 
友達からは今までと違った視点で見られるだろう
 
しかしその事について 特別な感情は何も沸かない
 
ただもう内に留める事ができなくなった
 
私は何かしらの思いや欲求を外に吐き出している
 
その欲求が満たされることは無い
 
しかし溢れ出るその言葉を吐ける機会を見つければ
幾度となく吐くのだろう
 
結局は自分自身で変るしかないと思っているが
 
そう簡単に変れるわけが無い
 
これはいくら吐いたとしても治るモノなのか
 
たとえ甘えと分かっていても
 
一人で立ち続けることを恐れている限り
 
このスタイルは変らないのではないか

変化

2005年6月27日
そのフラグを立てる事により
自分の環境の変化を促してみたが
 
そのフラグは視点を変える事によって
複数の見方が存在すると
フラグを立てた後にすぐにわかった
 
自分のした事の意味がまた遠のいていく
 
私はそのフラグを立てる自分自身に何を求めているのか
 
 
 
身近で鬱病にかかっていた先輩がいたらしい ♀
またかかってそうな後輩もいるようだ ♂
 
私は彼らの行動や思考をなんとなく理解できる


 
その事自体に流されていく彼らを見ていておかしくてたまらない
 
私はエセなのか本物なのかはわからないが
そのうちはっきりさせるつもりだ
 
ただ それらを理由に他人にすがる彼らを見ていると
軽蔑の念しか生まれない 同属嫌悪的なものかもしれないが
  
私はどちらにせよもう彼らの気持ちを多少でも含む事はできない
 
私は私が思う事を述べ
他人を気持ちを馬鹿正直に受け止める事はない
 
ただどこかで
彼らに対する嫉妬も存在する事に
私は私自身を殺す

吐き気

2005年6月22日
どうも体の調子がここ最近おかしい
 
空腹でありながら空腹ではない
 
満腹でありながらそれ以上と求む
 
体全体がだるい
 
長時間 吐き気と思わせるものが押し寄せてくる
 
 
 
私は全ての感情を理解したかった
 
頭での想像より実体験を求めた
 
自己暗示をいつのまにかかけていたのかもしれない
 
本当の私というものは存在しない
 
常に何らかの影響を受けた私しか存在しない
 
心というもの 性格というもの 感情というもの
 
それらが私を定義つけることは無い
 
なんとなく生活しているのがここにいる私
 
 
 
何もかも忘れてしまいたい

自己分析

2005年6月21日
私はどうしても自分という存在を作り上げたいのだろう
 
欝症状やリストカットに
憧れている感があるのは自分でよくわかっている
 
煙草や酒に逃げようとした事もある
 
しかし当時はそんな事を思わずにただ起きた出来事だった
 
今の私は自分を違う視点から見る事ができるようになっている
だからこそ私のする行動に対しての疑問を調べている
 
自分でその行動について分析していくと
その行動の原因が明らかになってくる
すると私の気持ちとあった事が論述されていたりする
 
私はそれを見た上でその過ちを犯した行動については理解するも
その行動を止める事はできているのだろうか
 
いや
私はその行動を行う時も常に冷静な自分も持ち合わせている
したいという衝動と理性が衝突していく
あとはどちらが勝利するかによる
 
ただし以上の事を理解して行動している時は私は無事なのだ
 
私の腕に加減が効いている証だからだ
 
私がここにこのような事を書くのも私の意識を満たすためだろう
 
これを見た人からのアプローチを望んでいる訳でもなく
ただ私を見つめなおし私という存在を確認するためなのだ
 
よってこれは私の示威行為といった所だと認識する
 
この様に私自身の行動を過ちだと理解しているものの
それを犯すことは私の精神が異常なのだろうか
 
自分で欝病ではないかと疑問を抱きつつも
なぜか鬱病に憧れているという自分が無意識の内に
おこしている模倣なのではないだろうか と
 
私の意識は錯綜してしまい統一されない
 
ただこれは通称電波と呼ばれるものだろう
この電波を正面からとらえるのではなく
客観的に楽しめる人はいるのだろうか
 
どちらにしても私は私のために文を綴る

ミル

2005年6月11日
ここ2,3ヶ月
私は私の内面をどれだけ見つめたのか
ここに戻り私自身を見ていなかった事に気づいた
 
少し考えれば分かりそうな事なのに私は気づかなかった
充実した日々を送っていたのか
すべてに甘えて何も考えていなかったのか

私は私を傷つける事になれ
私という存在を位置づける柱を失いつつある
 
何をしてもいずれ虚無感に囚われる
 
死にたいと思い続けるものの
その思いは活きたい思いの裏返しだと気づいているからこそ
自分自身に失望する
 
活きるためにしたいこと
周囲のために生きること

何を背負い何に執着しているのか
自己暗示を幾重にもかけそれが何だったかも思い出せない私は
この思考が甘えだとわかっていても
人からどうおもわれようと
自己に介入される事を拒むだろう
 
私の問題は私にしか解決できない
 
ただ直視することも逃げる事もできない

天秤

2005年4月9日
どうも私の心は不安定すぎるようだ
私を受け入れてくれる人がいることで
とても平穏な日々を暮らせていた
 
しかしそれも長くは続かず私は何が不満なのか
何が不安なのか何を求めているのか
どうにもグラつく心を抑えることはできず
 
一人は嫌なのに一人の空間に身を投げ出してしまう
今は何も考える事はできず
ただただ思いを文にすることで
私を見つめなおそうとしてみるが
 
結局私の頭は今パンク寸前のようだ
 
私はあんな喜びや悲しみを味わった事がなく
そこまで私を引き起こしてくれる何かをもったあの人が
本当に好きでたまらないのだろうけど
 
私はやはり私自身を好きになれないのだろう
 
結局私の心はあの人の存在が感じられなければ
今までの私のように私を傷つけて
生きている実感を欲しがっているように思う
 
私はもうこの穴からは抜けだせれないのだろうか
 
もう何もかも終わらせてしまいたい

気づくモノ

2005年3月3日
過去を記憶ではなく
 
その時に作り上げた産物をみて微笑む私がそこにいた
 
その時の私の心を
素直に受け止め理解する事はもうできないけど
 
今を生きる私は
その時の私を見つめ
 
何もわかっていないけれど
夢と理想だけで突き進もうとしてたあの頃を
 
とても大事に思った
 
それは私が強く意思も持て
努力していけるモノがあったからだと
 
今やっとわかったような気がする
 
私はいつの間にか怯えていたようだ
 
たとえ失敗してもその次を
たとえ失ってもそれを乗り越える心を
 
全てが鬱陶しく
全てが退屈に思えた感情も
私はそれはそれで愛し
 
また違った心を持つ私を愛し
 
新たに作られようとする私も愛そうと思う
 
そしてまた全てに愛想が尽きた時
 
私は私を見つめ直しまたそれに気づくのだろう

構成

2005年3月2日
私は久しぶりに心と対話をしたようだ
 
そして私は
私が私であるために構成されてきたもが
何だったのかを確認することができた
 
私が私を安定させるために敷いたレールと
私を自己認識するために貼ったレッテルが
 
意識しなくなった今でも心の底に眠り
そして今の私にも影響させていたのだと
宙を泳ぐ気分の私にミシリとそれを突き立てた
 
私はまたあの頃の私に戻る事になったようだ
 
私にはまだ成さなければならないモノがある
 

置き換え

2005年2月21日
私はきっとこの感情を楽しんでいる
 
いや
 
もしかしたら私は感情というものが感じられないのかもしれない
 
感情のわきあがる出来事をもし
 
情報として捉えて判断しているとして
 
私の感情は利益とエゴ以外で感じられているのか
 
 
躁と鬱を繰り返していて
 
無気力な状態を無感情と直結させるようになって
 
それが間違っていた心の強さを求めた結末だったと知って
 
結局私は私なのだが 
 
私の実態を自分でも捉えられていない

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