思考 分析

2005年7月15日
深く考える事ができなくなっていた
 
最近少しそれが治り 考えるようになっていた
 
しかし
 
私はどうも他者からの影響を受けすぎてしまうようだ
 
本当に苦しむ人々を見ると頭痛が治まらない
 
気持ちもすぐに流される
 
私は救う事ができなかった
 
支える事もできなかった
 
私が思うだけでは救う事ができない
もともとはその人自身の意思の問題だと思っているが
 
錯覚を尊いものと捉え
儚く美しく描写されるそれらの模倣行為
 
ただそれだけではないとは思うが これも一因ではないだろうか
 
結局は自分自身で気づくしか解決策は無いのだと思っている
だが支え 救う事 支えられ 救われる事を望むのもまた事実
 
私の意志 他人の意志
 
結局自身がその事にけりをつけないといけないだろう
 
ただ病院やカウンセラーに行くだけで治るモノとは思えない
私はエセであるがそう思う
そうでなければ数年も病院を通って治らないなんて事があるだろうか
それでは行かなくても同じではないか
 
私はハッキリそれらの感情は 甘え だと思っている
 
エセの私が言っても無駄に反感をかうだけかもしれない
でも
私はそれら救いを求める行動はキッカケなのだと思っている
そこから先は意思ではないだろうか
 
本当に治りたいのか
本当に今まで甘えてきた事象を克服する気があるのか

苦悩 苦汁の日々は社会では当たり前だろう
どこまで本気で耐えられるか
逃げに走らないか 自分に甘えてしまわないか
それが問題なのではないか
 
悲劇のナニナニな感じに浸るのは気持ちいいかもしれない
そう思わなくても その感情に浸る事が自分なのだと思ったり
人とは異色な自分を簡単に装う事ができ 自己を確認できる
 
欝やカット行為に及ぶ人は
自分を活かしたいのではないか
 
私は一度ある人にこういわれた
「本当に死にたいなら相談をする間もなく死んでいる」
私は確かに甘えたかった 支えを欲していた
 
ただ 本当に苦しんでいたのは確かだった
 
しかし私はそれから他人へのアピールをやめた
私はもっと強くなろうと思った
 
私はそれらの行為を自分への甘えと捉えている
 
私の文を読み気分が悪くなったらすまないと思う
これは私が出した私自身への結論だ
反感をもたれてもかまわない
これが私の世界であり
他人の捉える世界観と同じわけが無い
ただ私は体を大事にし 人々には生きて欲しいと願っている
 
私はこうやって ひねくれて生きる

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